シャイで無口だなんて、いったい誰のことだ?
「日本人に似て、フィンランド人はシャイで無口」だと言われている。それを裏付けるかのような笑い話もある。
ある日、マッティとペッカがキャンプにでかけた。3日目の夜、焚き火を囲み二人でコーヒーを飲んでいたときマッティが口を開いた。
「もう一杯コーヒー飲むか?」
これを聞いたペッカは憮然として答えた。
「オレがキャンプに来たのは会話をするためじゃない」。
ペッカはそそくさと荷物をまとめて帰ってしまった。
これほどにフィンランド人は無口だ、という趣旨だが、文字通りに受け止めてはいけない。ことわざや格言の多くがそうであるように、これは願望を含めた逸話なのだ。つまり事実は全く逆で、フィンランド人は非常におしゃべりだ、ということに他ならない。
「雄弁は銀、沈黙は金」という格言があるが、これも「話さずにはいられない=黙っていられればいいのにね」という意味である。
シャイで無口なフィンランド人なんて、丸い三角とか、曲がった直線と同様の形容矛盾だ。もしくは「ありえないものの比喩」として使っているのだろうか。
まあ、短期間の旅行中に接する範囲のフィンランド人を基準にして「無口」な印象を持つのはわかる。やたらと明るいラテン系もしくはアメリカ人に比べればそう感じてもおかしくない。しかし実際のところ、フィンランド人はよく喋る。とことん喋る。少しは黙っていられないのかと言いたくなるほどに喋りまくる。たとえばこんな感じ。
ヘルシンキで、とあるフィンランド人に道を尋ねたとしよう。
「すいません、ストックマンデパートはどこですか?」
そうすると、次のように答えてくれるかもしれない。
ストックマンデパート? ああ、あそこは何でもあるわね。あんたどっから来たの? でも今日、寒いわね。あ、そんなことないか。年とると寒さに敏感になるのよ。寒いっていえば、去年はひどかったのよぉ、雪がすごくてね。買い物に行くまでが大変で。それに比べれば今年は・・でもまだ分かんないわね。地球温暖化っていうの? で、なんだっけ?そうそう、ストックマンね。ほら、あそこにトラムが見えるでしょ。そんなことよりまず道を渡りましょう。歩くときはまず右足出して、次は左。両手を振ると歩きやすいけど、あんたみたいに大きな荷物持ってると大変ね。
・・・・え? ストックマン? ストックマンは駅前の道をまっすぐ行けばいいのよ。タンペレならね。私、タンペレから来たの。ヘルシンキのストックマン? さあ、どこかしら。タンペレから来たっていったでしょ。人の話聞いてないの?
これはもちろん極端な誇張だが、日々常々の体験に基づく実感である。実例はいくらでもあげられる。それなのになぜ「シャイで無口なフィンランド人」という事実無根の風説が流布しているのか。その理由を明かすのが投稿の目的だったが、長くなるので今回は「フィンランド人はいかにお喋りか」という事実を述べるにとどめ、その解説は次回に譲る。
短期間の滞在では「フィンランド人は無口」という先入観を崩すことはできないかもしれない。しかし彼らがおしゃべりであることに気づく人もいる。
とある旅行会社の口コミサイトで、カヌーツアーに参加した家族の体験記を目にした。短期間の旅行でも観察力が鋭ければ気づくという好事例なので引用する。
「対岸では、軍服を着たフィンランドの方が焚火を起こしていらっしゃいました。そこでトイレタイム、軽食のカレリア・パイとシナモンロール、入れたてのコーヒーを頂きました。
ガイドさんが軍服を着たフィンランドの方について「彼は無口だから~」と紹介してくださいましたが、ガイドさんとしゃべるしゃべる笑 こっそり娘が「無口ちゃうやん( 一一)」っていうのに日本人4人は密かにウケてました。日本語ができないから会話に参加できないっていうことだったんですよね。」
カヌー体験ツアー
無口と言われる人でも、どんだけ喋るんだ、という発見に驚く気持ちがよく現れてますね。
また、「静かなフィンランド人」という形容も的外れだ。男性は朴訥な話し方をする傾向があるのでそんなイメージを持つのかもしれないが、大声で話す人のほうが多い。かつては公共の場所では私語を慎むという風習があったが、携帯電話~スマホの普及によって状況は大きく変わった。街中で車内で、他人の迷惑顧みず、延々と話し続ける人がいる。特にハンズフリーだと大声がガンガン響く。携帯電話を手にすると、自分だけの世界に没頭するのである。
加えて子供がうるさい。
まず、バスや電車の中で泣きわめく赤ん坊が珍しくない。それはしょうがないとは思う。赤ん坊とはそういうものだから。しかし日本なら、親がなんとか泣き止ませようと努めるのではないか。うまくいかない場合もあろうが、努力する親の姿に周囲の人間は寛容な気分になる。ま、しょうがないよな、と。騒音に変わりはなくても、心理的には許せる。
いっぽうフィンランドでは、赤ん坊が泣いても保護者はあまり気にしない。もちろんあやしはする。しかし基本的には「泣くものはしょうがない」という態度。周囲に対する配慮などはない。また、幼児などは大声で話すことが多い。「話す」といっても幼児だから会話にはならず、窓から見える木なり川なりを「木!」「川!」と大声で叫ぶのである。騒音でしかない。
やや歳がいけば、会話らしきものを一方的に延々と話し続けることもある。もちろん大声だ。あるいは突然叫びだす。「ア~~~~」というような感じで。全く無意味。これはもうたまらない。電車なら別の車両に移動する手もあるが、バスでは逃げられない。車内最前列と最後部だとしても、騒音レベルに大した違いはない。しかもこうした事態はマーフィーの法則にのっとり、必ず自分の前後左右で起きる。地獄である。
こどもたちが騒がしいのは車内だけではない。たいていの公共の場で彼らは他人の存在などまったく目に入らないように、自由気ままに叫ぶ。スーパーマーケットなどで保護者とはぐれた子供が店内を駆け回り「お母さ~ん」と叫ぶ。これは仕方ない。しかし、母親と並んで歩いていても、いきなりわめきだすガキもいる。先述の車内での雄たけびと同じ。理解不能。不思議なのは、周りの人々がさほど気にしていないような点である。ワシの心が狭いのか。
まあ、子供のうるささについては「お喋りなフィンランド人」とは意味合いは違うだろうが、幼少のころから鍛え上げたからこそ現在があると考えれば一貫してはいる。
以上をまとめると、フィンランド人は大声でよく喋るという一言に尽きるが、それを踏まえて冒頭の笑い話を思い出すと、その皮肉がよくわかるはずだ。
「シャイで無口」というのは「陰気で不愛想」を柔らかく表現したに過ぎない。