想像を超える展開はなく、細部のほころびばかりが気になる
原題 Amazon
監督 Mika Kaurismäki
製作 1990年 96分
出演
Kari Väänänen … Kari(主人公)
Robert Davi … Dan(相棒・山師)
Rae Dawn Chong… Paola(教師・愛人)
Minna Sovio … Nina (カリの娘1)
Aili Sovio … Lea(カリの娘2)
Pirkko Hämäläinen …Susanne(カリの妻)
goo映画の作品紹介によると「アマゾン奥地を舞台に、一攫千金を夢見る男たちの愛と挫折を描く」てなことが書かれているが、ほんとに見たのか?
100%の嘘ではないが、この要約から受ける印象と実際の内容はかなり異なる。本作品の主題は大規模な環境破壊に一石を投じることにあるんだぜ?
主人公のカリは自動車事故を起こし、同乗していた妻は意識不明の状態に陥った。カリは妻の生命維持装置を外した。「最後の愛情表現」とかなんとか言ってるが、殺人だ。本作の紹介サイトをいくつか見たが、この点に触れているものは皆無。善悪はともかく、言及すべきじゃないのか。その後、誰にもみつからないであろう場所としてブラジルに二人の娘と逃亡する。宝物探しを目的にアマゾンを目指したわけではない。
が、リオデジャネイロに到着したとたんに持ち金すべてを盗まれ、さらにトラブルに巻き込まれる中で、「たまたま」砂金やダイヤモンド発掘の可能性を知り、アマゾン奥地に向かうという展開。
で、現地では恋に落ちたり、砂金探しの相棒に出会ったりと「たまたま」が重なって話が進んでいく。そうした中で底辺労働に携わる現地民の不幸、熱帯雨林消滅の危機、大資本参入に伴う旧習慣の破壊等の問題が提起される。ある種のドキュメンタリーを見ているような感覚だ。アキ・カウリスマキの他作品はもちろん、一風変わったフィンランド映画を想定して鑑賞すると期待外れに終わる。「フィンランド臭」は全くない。それゆえに“国際的”作品と言うことができるので、誰にでも理解できる内容だ。好き嫌いは別として。
個人的には感心しなかった。細かい部分に不可解な進行が多すぎるのだ。
まず、入院中の妻を殺して国外脱出などできるわけがないが、それを言うと映画が始まらないのでまあよしとしよう。
しかし、リオデジャネイロで全財産を盗まれた夜、子供たちを置いて飲みに行くとは何事だ。無一文なんだろ? ひと悶着を経て唐突に車で逃亡。その車どうしたの? 運よくセスナ機と遭遇。金鉱掘りに向かう。妻を殺して数日後には現地で愛人を作っている。どことも知れぬアマゾン流域の集落から手漕ぎ船を盗んで脱出。どこに行くつもりだ? 拳銃でワニを捕獲するのはいいとしても、道具もないのに火まで起こしてる。いつのまにか市街地に到着。金鉱掘りは同地を退廃させるというような指摘をしておきながら、最後にはブルドーザーがヘリで運ばれてくる。誰が頼んで、誰が金払ったんだ? なんかもう、いいかげんの極みなわけですよ。自然保護のアピールも文明国人の憧憬に過ぎないんじゃないか、と。
それはアキも承知のことなのだろう。自然破壊への批判を表現するシーンがいくつかありながら、最終的にはブルドーザーが搬入される。不安げに見つめる現地人、薄ら笑いを浮かべるカリ(「大金ゲットだ!」)。焼け野原となったアマゾンの空撮で映画は終わる。押しつけがましいメッセージがないだけに、素直に受け入れられるが、感動もない。
ブラジルに長らく住んでいたミカ・カウリスマキは、ロケ地であるPantanalの美しさを見せたかったようだが、映像的に成功しているとは思えない。その特異な地形は魅力的だが、描写が平坦。スケールの大きさも感じないし、せめてもう少し光を選ぶことはできなかったのか。
カリの相棒となるDanを演じるのはRobert Davi。ダイハード(1988)でFBI役だったが、この人の渋さだけが印象に残る。
ついでに役者について少し触れておく。
カリの妻、スサンネはやはりミカ作品のPaperitähtiの主演女優。それだけに期待したのだが、画面に映ってるのは30秒くらい。そのうち約10秒は白黒写真だ。
ブラジルでの愛人、パオラはコマンド―(1985)でシュワルツェネッガーを助ける人。
最後になったが、主人公のカリはミカ作品の常連。
エンドロールでは「アマゾンの原生林が毎年16万8000㎢(ワシントン州に相当)消滅している」と表示されるが、その要因は示されない。
なお、ロケ地のパンタナルは2000年にユネスコの世界遺産に登録された。この映画も推進力の一つになったのだろうか。いずれにせよ、おいそれと行けるような場所ではないから、その面では本作を評価できよう。