ヘルシンキ三大ガッカリ・スポット

あんまりガッカリしなくてガッカリするかも

「世界三大ガッカリ」として人気の高い観光ポイントがありますね。マーライオン、小便小僧、人魚姫が定番。私も昔は人魚姫を見た時にはガッカリしたものですが、今ではそれもウリになってますよね。ガッカリするためにコペンハーゲンに行く、みたいな。で、ガッカリして満足、っていう変な話。

これにならってヘルシンキ三大ガッカリを選んでみました。シベリウス公園、現代美術館キアスマ、アラビア工場が見事に受賞。

しかしもともと期待度が低いだろうから、「夢に見た人魚姫があんなもんだったとは・・」というほどには落胆しないはず。「なんだ、こんなもんか」程度。したがってガッカリ目的で訪れても、それほどガッカリしなかった、とガッカリするかも。

以下寸評。

・シベリウス公園

ヘルシンキがっかりの代表。団体ツアーでは必須の場所なので、それが一般観光客への知名度も高めたのだろうが、シベリウスの音楽に興味がなければ、ここで感激する人はおるまい。団体ツアーが必ず訪れるのは、バスを停めるのに都合がいいからだと思われる。まあ、シベリウスさんがフィンランドにおける偉人であるのは確かなんだけど、観光ポイントとしてはいかがなものか。しかもツアーだと「このモニュメントはパイプオルガンをイメージして・・」なんてでたらめを聞かされるのだからたまらない。

・現代美術館キアスマ

キアスマ自体に魅力がないわけではないが、美術館の類はガッカリすることが少なくないことの象徴として選出。同様のもとのしてデザイン博物館も人気が高いけど、いずれも訪問時の展示内容によって満足度は大きく変わる。現代芸術は見る者を選ぶし、目のある人でも興味の対象外であれば感激はするまい。キアスマはその傾向が強い。

風船で満たした部屋を見せて何になるのだ? 床に寝っ転がってる人も芸術なのか? と訳のわからないことが多い。人によっては衝撃的なのかもしれないが。

これが国立美術館なら話も違う。さほどの知識や鑑識眼がなくても、価値の確立した常設展示作品にはそれなりの感動を覚えるだろう。かつてTNS Gulpという調査会社のアンケートで「ヘルシンキで最も退屈な観光ポイント」に選ばれたのもうなづける。

なお、Kiasmaはキアズマじゃなくてキアスマね。

・アラビア工場

アウトレットで掘り出し物を探す・・・のが楽しめたのはもはや昔のこと。アラビア製品の国内生産は2015年に終了したため、ここでは以前のような「おつとめ品」は入手できません。その旨はほうぼうで公表されていますが、昔の情報や記憶をたよりにして訪ねるとショックでしょうねえ。シベリウス公園よりガッカリするかも。
まあ、アラビアの歴史をつづる博物館があるし、イイッタラやフィスカルスのアンテナショップもあるしぃ、といったところで手を打つことにしましょう。

以上の三大ガッカリはなかば冗談なのでムキにならないように。もちろん、シベリウス公園で感激する人も皆無ではないことは承知のうえです。実はこれら以上にガッカリするポイントもあるんだけど、それを書くと威力業務妨害になりかねないので自粛しておこう。

三大失敗建築

三大ガッカッリポイントを紹介したついでにヘルシンキ三大不評建築もとりあげておこう。これは私の感想ではなく、世間の大多数が下した判断である。

その筆頭はテンペリアウキオ教会。え~? あの超有名観光ポイントがぁ? と意外でしょうが、話は1969年の竣工時のこと。あまりに斬新なデザインは地域住民の猛反発にさらされた。この周辺はヘルシンキの第一次都市計画が展開した場所なので、現教会を囲む建物は統一が採れているのですね。それを破壊した、というのが攻撃の理由。これはパリのポンピドゥー・センター(1977年)に対する市民感情と同じ。先鋭的作品が理解され共感を得るまでには時間がかかるということですね。

もちろん現在ではヘルシンキ有数の観光ポイントとして定着し、内部見学の価値は十分にあると思います。

続くはストラ・エンソ本社(1962年)。一般的な知名度は低いでしょうが、フィンランド建築界の巨匠、アルヴァル・アアルトの作品として、一部の人にはよく知られています。マーケット広場に行けば東前方に見えてくる。白い大理石に包まれた真四角に近い建物。その形状から「角砂糖」と揶揄され、「アアルト唯一の失敗作」という酷評さえ下されている。独立した建築作品として見るには問題ない(当然だ)が、その後方にウスペンスキー寺院が控えているんですね。重厚なビザンチン様式を誇る教会と現代建築との不協和音に不快感を覚えたとしても無理はない。

3つ目がシティ・センター(1967年)。これまた知名度は低いが、ヘルシンキ中央駅正面の真向かいにあるショッピング・センターなので、旅行者の誰もが目にしているはず。しかし記憶には残るまい。意識して眺めると、いささか古臭いデザインではあるが、文句をいうまでもないという印象をもつのではないだろうか。しかし完成当時は2階バルコニーのデザインに非難が集中した。あか抜けないチューブのようなでっぱりが嫌われ、マッカラ・タロという蔑称がつけられた。「マッカラ」というのはソーセージのことで、「タロ」は建物。つまり、「ソーセージ・ビル」としてさげすまれたのである。

テンペリアウキオ教会とは異なり、同ビルの評価が上がることはなかったが、現状では特段の違和感はなく、「ソーセージ・ビル」は愛称として、建物自体は身近な存在として親しまれているとはいえよう。

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