フィンランドの春は何もない春です

フィンランドと襟裳岬の意外な共通点

森進一の「襟裳岬」。74年1月15日発売、同年のレコード大賞と歌謡大賞を受賞。吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞。森進一の新天地を拓くとともに、吉田拓郎の人気・知名度を飛躍的に高めた名曲。それだけに同曲をめぐる論議は多様だ。

論点は大きく分けて二つ。まずは季節。そして「何もない」の解釈である。

季節については「春」と断定していいだろう。少なくとも現在はそう定着している。「襟裳の春は 何もない春です」と何度も歌い上げているのだから当然だ。おしまい。

が、それはおかしいという指摘がある。歌い始めは「北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい」とあるからだ。冬の訪れが早い北国では、もう暖炉を温める季節だ、つまりこの歌は秋もしくは初冬を描写しているのだ、というわけだ。その指摘は正しい。なぜならこの歌の原典である「焚火」(岡本おさみ詩集「ビートルズが教えてくれた(1973年10月10日初版発行 収録)では

「襟裳の秋はなにもない秋です
昆布を採る人の姿さえも」

となっているのだから。

コンブ漁がおこなわれるのは7~9月。それがすっかり終わった時期、すなわち秋の風景をうたったことに間違いはないのである。

しかし「焚火」をメロディーに乗せ、「襟裳岬」に生まれ変わる過程で同曲の季節は春になった。「秋」のままでは語呂が悪いので「春」にした、と推測できる。そして「暖炉で燃やしているのは過ぎ去った冬の辛さである」という解釈が生まれた。そうなると季節に関しての矛盾はなくなる。

悲しみを暖炉で燃やす

しかしこれはさして問題ではない。詩、しかも歌謡曲の歌詞に完全な論理性を求めること自体がナンセンス。さまざまな矛盾を含み、それゆえに誤解を招きながらも全体として強烈なイメージをいだければ、それで優れた詩になるのだ。

何もない、ああ、なんと素晴らしい

したがって襟裳岬を謳っているのが秋なのか春なのかを詮索してもたいした実りはない。それよりも重要なのは「何もない春」の解釈だ。これには納得できる説明が見当たらない。「何もない」のは襟裳岬ではなくて、襟裳の春には悲しみもつらさもない(暖炉で燃やしたから)」という援護もあるが、これは苦しい。

あるいは「えりもにはあれもあります、これもあります」という筋違いの反論がある。ウニが採れます、アザラシもいます、と。それ、えりも町ではあるにしても襟裳岬じゃないし。「いや、襟裳岬には灯台もあるし200台停車可能な無料駐車場がある」などと言われると悲しくなってくる。挙句の果ては島倉千代子の「襟裳岬」と、森進一の「襟裳岬」。仲よく並ぶ歌碑がある、なんてことを自慢してる。それ、本末転倒だよ。

現地の人々が「何もない」と言われて反感を抱いた気持ちは分かるが、「何もない=無価値」ととらえることに問題があるのだ。都会の喧騒に疲れてふと襟裳岬を訪れたら、「何もない」解放感に感激することだろう。以下太字は他サイトより引用。

「岡本おさみは襟裳岬を見て
『ただガランとしてて しばらくいたけど すごい気持ちよかった。
気持ちよかった。フワァーとしててね
この気持ちが 何もない という詞になった』

と後に語っている。」

と記すブログがある。https://folkharu.com/erimomisaki/

この引用は出典が不明なので、岡本が本当にこう語ったのかどうかはわからないが、その心情はよくわかる。しかし、岡本おさみは同曲が発表される以前には同地そのものは訪れていないらしいので、引用文の信ぴょう性も低い。

1.岡本おさみは、襟裳岬の近くまでは行ったことがあったが、襟裳岬には行ったことのない状況で「襟裳岬」の歌詞を書いた。

2.岡本おさみが初めて襟裳岬を訪ねたのは、「襟裳岬」の歌詞を書いてから7年後である。

参照:http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2009/11/post-7069.html

すなわち、北の地で解放感に浸ったのは事実だとしても、「襟裳岬を見て」のことではない。ただ、「何もない」ことの素晴らしさを襟裳岬に託して表現したわけだ。

確かになんにもないんだけど

「何もない」ことに多くの人が魅せられた

さて「何もない」状況を考えてみよう。「何もない」と言われた現地の人々は、故郷をけなされたと憤慨したわけだが、果たして怒るべきことだろうか。ここからフィンランドにかぶさってくるのだが、フィンランドの春も簡単に言えば「何もない」。潤沢にあるのは雪だけだ。しかしそれは欠点ではない。「何もない」からこそ素晴らしいのである。

さらに現実的に「何もない」ということはありえない。厳冬期を越え、雪解けが始まるころ、フィンランドは猛烈な勢いで輝きを増す。日照時間がぐんぐん伸びて、文字通りに光輝き、その下で草花が息吹き始める。

まずチオノドクサが雪を割って顔を出し、ミスミソウやスノードロップが続く。そのあとはリュウキンカ、フキタンポポ、ヤブイチゲなどが一斉に咲き乱れる。ネコヤナギの花穂が暖かさを伝えてくるのもこの時期だ。クロウタドリが春を告げ、アカゲラが木の幹を叩く。フィンランドの春は一日ごとに様相を変えるが、こうした変化に気付かない人には「何もない」と思えるだろう。その真価を理解できずに。

もう一歩踏み込むと「何もない」というもの(状態)がある、と禅問答のような返答も可能だ。これすなわち「何もない」ゆえに「何をしても可」也。何物にも代えがたき宝にあらんや。ま、これはちょっと勇み足で、岡本おさみもそんなことは言ってないけど。

フィンランドの「何もない」極致は白夜かな。これはもう、本当に「何もない」。ただ夜が明るいだけ。しかし一晩だけでもいい。できれば一人で森や湖畔に身を置いてほしい。何もしなくても、ただそこにいるだけで体の奥底から爽快感が沸き上がってくる。

ミニマリストにたとえてもいいかな。たとえばミニマリストの部屋を見て「何もないね」と言えば、それは賞賛以外の何ものでもない。そうしたことを、当時「襟裳岬」を耳にした多くの人は好意的に受け止め、「何もない」ことの本質的価値をつかんでいたはずだ。同曲が大ヒットしたのはメロディーの良さや森進一の歌唱力に支えられたのはもちろんながら、「何もない」ことに強烈な憧れを抱いたからだろう。それがレコードセールス100万枚以上という大ヒットを生み出したわけだ。

「何もない」ところに住んでいる人が「何もない」ことの素晴らしさに気付くことは少ないが、そこに価値を見いだせれば幸いだ。「あれもあります、これもあります」と勝負をかけても他の大都市にかなうはずがないし、また、競う必要もない。

「何もない」けど、お茶はある

さらに「何もない」ことが豊かさに通じることもこの歌はうったえている。

この1(ママ)句は、襟裳岬に辿り着いた岡本が、あまりの寒さに傍にあった土産物屋に立ち寄ったところ、そこの女主人が「何もないけど暖まって行きなさい」と言いながら、お茶を差し出してくれたことに感激したことを詠じたものです。

参照:https://igasanjin.muragon.com/entry/257.html

あまりの寒さに近くの民家を訪ねたところ、老夫婦が快く迎え入れてくれて“何もないですが…お茶でもいかがですか”と暖かいお茶を飲ませてくれたんです。

http://www.tapthepop.net/imanouta/75337
https://koimousagi.com/46496.html

似たような情景を微妙に異なる文言で表しているが、いずれも出典が不明だし、こんなエピソードがあったのかどうかの疑問も残る。お茶を振舞ったのは民家の老夫婦なのか、土産物屋の女主人なのか。どっちなんだと問いただしたくなる。繰り返しになるが、そもそも岡本は詩を書いた時点では襟裳岬に行ってないしね。

いつ・どこで、こうしたもてなしを受けたのかの事実はこれまた重要ではない。寒さに震える旅人に「何もありませんが」といってお茶を振舞うという情景が岡本の想像であっても一向に問題はない。

「何もない」といいつつもお茶はある。そうして旅人をもてなすことこそ襟裳岬の神髄ではないのか。「つまらないものですが」といって土産を渡す謙譲の美徳と同根。

上記のサイトでは、このエピソード(もしくは想像)が「何もない」という歌詞につながったとしているが、個人的には歌詞の最後、「遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ」に重なるように思える。

「何もない」中、一杯のお茶に息をつく旅情がうたいあげられ、人々の気持ちをも温めたのである。ま、この辺は解釈の相違といえるが。

暖まってゆきなよ~

北海道を訪れた時期はいつだろう

岡本おさみが襟裳岬を訪れたのはこの歌が発表されてからずっと後のこと。それどころか歌詞を書くきっかけが北海道旅行だったのかどうかすら定かではないが、ここでは襟裳の地(襟裳岬ではない)を訪れた体験に基づいて詩を書いたと仮定しよう。

では彼が襟裳周辺を訪れたのはいつか。訪問時期を岡本自身が明らかにした資料はない。

岡本さんが襟裳岬を訪れたその日、春とはいえないとても冷たい海風が吹き渡っていたそうで
https://koimousagi.com/46496.html

この引用を信じるとすれば岡本が北海道を訪れたのは3月前後となろう。しかし先述のようにそもそもの詩「焚火」では「襟裳の秋は・・昆布を採る人の姿さえも(ない)」と記しているのだから、辻褄があわない。

訪問時を春とするのは、「襟裳岬」が春の歌に変更、定着したことに引きずられているだけだろう。
が、岡本の北海道旅行がコンブ漁の終わった9月以降とするのも無理がありそうだ。というのは、「焚火」を収録した詩集の発行は10月10日である。9月に旅行、そくざに詩を書きあげて脱稿、印刷、製本、流通、販売と、どう考えても日程的にまにあわない。書籍に記された発行日というのは通常、販売日よりかなり後だからね。つまり製本自体は9月の半ばには終了していなければならない。すると旅行日は春だったのか、あるいは旅行は前年の秋だったのか。

こうした経緯は歌詞の分析・解釈とは異なり、事実関係を確認すれば明らかにできるわけだが、そうした資料はないようだ。誰も気にしないんだろうけど。

細かい部分を掘り下げると、他にも釈然としない箇所がいくつかあるけど、さまざまな疑問、誤解、憶測を招くのも、名曲たる所以である。

何もないフィンランドの春